ショウペンハウエル『読書について - 他二篇』について

ショウペンハウエル『読書について - 他二篇』 西洋哲学
ショウペンハウエル『読書について - 他二篇』

19世紀のドイツの哲学者、アルトゥール・ショーペンハウアー(ショーペンハウエル・ショウペンハウエルとも、独: Arthur Schopenhauer、1788年 – 1860年)の著作『読書について』、『思索』、『著作と文体』は彼によって書かれた3つの重要な作品です。これらの作品は、読書、思考、そして文章の書き方に関する彼の洞察を示しています。

読書について(Über Lesen und Bücher)

『読書について』では、ショウペンハウエルは読書の本質と価値について深く考察しています。

読書の本質
ショウペンハウエルは、「読書とは他人にものを考えてもらうことである」と述べています。彼は、読書を通じて他人の思考プロセスを単に繰り返しているに過ぎないと指摘し、これを書き方を学ぶ生徒が教師の鉛筆の線をなぞるのに例えています。

量より質
ショウペンハウエルは、多読よりも良書を熟読することの重要性を強調しています。彼は、「数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめる」と述べています。

古典文学の価値
ショウペンハウエルは、古典文学、特にギリシャ・ローマの古典を高く評価しています。彼は、「あらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべきである」と主張しています。

読書の弊害
過度の読書は思考力を弱める可能性があると警告しています。「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」と述べています。

思索(Selbstdenken)

『思索』では、ショウペンハウエルは独自の思考の重要性を強調しています。

独自思考の価値
ショウペンハウエルは、自ら思索することの価値を高く評価しています。「もともとただ自分のいだく基本的思想にのみ真理と生命が宿る。我々が真の意味で充分に理解するのも自分の思想だけだからである」と述べています。

思索と読書の関係
ショウペンハウエルは、思索と読書の関係について深く考察しています。彼は、読書は思索の代用に過ぎないと考え、真の知識は自らの思索から生まれると主張しています。

オリジナルな思想家と読者の区別
ショウペンハウエルは、オリジナルな思想家と単なる読者を区別しています。オリジナルな思想家は自らの観察と反省から知識を得るのに対し、読者は他人の思想や考えに依存していると考えています。

著作と文体(Über Schriftstellerei und Stil)

『著作と文体』では、ショウペンハウエルは文章の書き方と文体について自身の見解を述べています。

明瞭さの重要性
ショウペンハウエルは、「確かにできるだけ偉大な精神の持ち主のように思索すべきではあるが、言葉となれば、他のだれもが使うものを使用すべきである」と述べ、平易な言葉で明瞭に文章を書くべきだと主張しています。

文体の個性
ショウペンハウエルは、「文体は精神の生理学である」と述べ、文体は作者の個性を反映するものだと考えています。他人の文体を模倣することは、仮面をかぶるようなものだと警告しています。

内容の重要性
ショウペンハウエルは、「良い文体の第一の、そしてほとんど十分な規則は、何か言うべきことを持っていることだ」と述べています。内容のない華美な文章よりも、実質的な内容を持つ簡潔な文章を重視しています。

真摯さの重要性
ショウペンハウエルは、真摯な態度で書くことの重要性を強調しています。「良い、思想に富んだ作家は、すぐに読者の信頼を得る」と述べ、読者に真剣に何かを伝えようとする姿勢の重要性を指摘しています。

これら3つの作品を通じて、ショウペンハウエルは読書、思索、そして文章の書き方に関する深い洞察を提供しています。彼は、単なる知識の蓄積よりも、独自の思考と明瞭な表現を重視し、真の知恵は自らの思索と経験から生まれると主張しています。また、古典文学の価値を認めつつも、過度の読書が独自の思考を妨げる可能性があることを警告しています。

ショウペンハウエルのこれらの洞察は、200年以上経った今日でも、読書と思考、そして文章の書き方について考える上で重要な示唆を与えてくれます。特に、情報過多の現代社会において、彼の「量より質」という考え方や、独自の思考の重要性に関する主張は、非常に示唆に富んでいると言えるでしょう。

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