ピエール・ロティ『東洋の幻影』について

ピエール・ロティ『東洋の幻影』 フランス文学
ピエール・ロティ『東洋の幻影』

ピエール・ロティ(Pierre Loti、1850年 − 1923年)の小説『東洋の幻影』(Fantôme d’Orient)は、ロティが1887年にイスタンブールを再訪した際の3日間の滞在を描いた旅行記です。この作品は1891年に出版され、ロティの代表作『アジヤデ』(1879年)の続編的な位置づけとなっています。

『アジヤデ』では、ロティがイスタンブールで過ごした日々とトルコ人女性アジヤデとの恋愛を描きましたが、『東洋の幻影』では10年ぶりにイスタンブールを訪れたロティが、かつての思い出の地を巡る様子が綴られています。

ロティは、かつて住んでいた地域や知人を探し回りますが、街並みは変わり、友人たちは亡くなっていました。特にアジヤデの消息を探ろうとしますが、彼女もすでに亡くなっていたことを知ります。

最終的にロティはアジヤデの墓を見つけ、そこで涙を流して悔恨の念に駆られます。この場面は、過去との和解を象徴しており、物語に救済的な意味合いを与えています。

フランスの文学研究者ロラン・バルトは、この作品を「ロティの最も悲しい作品」と評しています。しかし、過去との和解を果たすことで、むしろ楽観的な物語に変容しているという見方もあります。

一方で、イスタンブールの多民族・多文化的な側面にも光を当てており、ユダヤ人地区やアルメニア人の友人についての記述があります。これは『アジヤデ』では省略されていた要素で、より複雑な都市の姿を描き出しています。

ロティのトルコへの愛着は、オリエンタリズム的な視点と個人的な思い入れが入り混じった複雑なものです。失われゆく「東洋」への郷愁と、自身の過去への反省が交錯する作品となっています。

『東洋の幻影』は単なる回想録ではなく、『アジヤデ』を再考させ、イスタンブールという都市と自身の物語に新たな視点を提供する自己省察的な作品だと言えるでしょう。

ピエール・ロティと日本の関係

1885年、ロティは海軍士官として長崎に約1ヶ月滞在し、日本人女性おカネさんと同棲しました。この経験を基に、彼の代表作『マダム・クリザンテーム』(お菊さん)を執筆しました。この作品は、西洋人の日本イメージに大きな影響を与えました。

しかし、ロティの日本観は必ずしも好意的ではありませんでした。彼は日本人を「醜く、卑しく、グロテスク」と表現し、日本に対して退屈さや無関心を示す手紙も残しています。

1900年から1901年にかけて再来日した際には、『お梅が三度目の春』を執筆しました。しかし、クロード・ファレールが指摘するように、ロティは「日本を少しも理解しようとはしなかった」とされています。

結局のところ、ロティは日本と日本文化に対して、ラフカディオ・ハーンやヴェンセスラウ・デ・モラエスのような真の愛情や情熱を持つには至らなかったようです。

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