坪内逍遥『小説神髄』について

坪内逍遥『小説神髄』 文学理論・作法
坪内逍遥『小説神髄』

坪内逍遥(つぼうちしょうよう、1859年 – 1935年)の『小説神髄』は、日本の近代文学の誕生に大きな影響を与えた重要な文学理論書です。1885年から1886年にかけて分冊形式で発表されたこの著作は、当時25歳だった逍遥が、日本の小説のあり方を根本から変革しようとした野心的な試みでした。

『小説神髄』の核心は、「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」という有名な一節に集約されています。ここでいう「人情」とは、現代的に言えば「人間の心理」を指します。逍遥は、小説の主題として人間の心理描写を最重要視し、その次に社会の実態や風俗を描くべきだと主張しました。

この主張の背景には、当時の日本文学、特に江戸時代の戯作に対する批判がありました。逍遥は、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』などの作品を例に挙げ、これらの作品が荒唐無稽な筋立てや勧善懲悪的な単純な道徳観に頼りすぎていると指摘しました。逍遥は、より複雑で現実的な人間描写を求め、善人にも悪い面があり、悪人にも良心があるという人間の複雑さを描くべきだと主張しました。

『小説神髄』は、西洋文学の影響を強く受けています。19世紀の西洋文学で盛んだったリアリズム(写実主義)の考え方を取り入れ、日本の小説にも適用しようとしました。逍遥は、小説を「美術」の一種と位置づけ、現実を忠実に描写することを重視しました。

この著作は、上巻と下巻に分かれており、上巻では小説の定義、変遷、主眼、種類、効用などについて論じ、下巻では文体論、脚色法、叙事法など、小説を書く上での具体的な技法について説明しています。

逍遥の主張は、当時の日本文学界に大きな影響を与えました。彼の理論は、二葉亭四迷の『浮雲』など、心理描写を重視した新しいタイプの小説の誕生につながりました。『小説神髄』は、日本の小説を江戸時代の戯作から近代的な小説へと転換させる理論的基盤となったのです。

しかし、逍遥自身が『小説神髄』の理論を実践しようとして書いた『当世書生気質』は、皮肉にも江戸の戯作に近い作品となってしまいました。これは、理論と実践の難しさを示す例といえるでしょう。

『小説神髄』の影響は、小説だけでなく演劇にも及びました。逍遥は後年、シェイクスピアの翻訳や研究に取り組み、日本の近代演劇の発展にも貢献しました。

総じて、『小説神髄』は日本の近代文学の発火点となり、写実主義や心理描写の重視など、現代にも通じる小説観の基礎を築いた画期的な著作だったといえます。その影響は、同時代の作家たちだけでなく、後世の日本文学にも大きな影響を与え続けています。

著:坪内 逍遥
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