顧 頡剛(こ けつごう、Ku Chieh-kang、1893年 – 1980年)の「古史弁自序」は、中国の歴史学において重要な位置を占める著作です。この序文は、顧頡剛が1926年に創刊した論文集『古史辨』の冒頭に掲載されたもので、彼の「疑古」思想の核心を表現しています。
「古史弁自序」の主要な内容
疑古思想の起源
顧頡剛は、自身の「上古史靠不住の観念」(上古史[殷・周・秦・漢の時代]は信頼できないという考え)の起源について、以下の4つの源泉を挙げています:
- 劉知幾から崔述に至る辨偽の伝統
- 康有為に代表される清代今文経学
- 胡適の実験主義的歴史学方法
- 民間の物語や歌謡からの示唆
晩年には、さらに遠い起源として郑樵、姚際恒、崔述の三人の思想を挙げ、近い影響としては胡適と銭玄同からの啓発と助力を認めています。
層累説の提唱
「古史弁自序」において、顧頡剛は「層累地造成的中国古史」(層累的に形成された中国古代史)という有名な観点を提示しました。この理論によれば、中国の古代史は後世の人々によって徐々に積み重ねられ、創作されたものだとされます。
疑古思想の背景と影響
新文化運動との関連
顧頡剛らが疑古を提唱した背景には、1910年代の新文化運動があります。この運動は、儒教に代表される伝統文化を批判し、科学的方法などの進歩的な新文化を広めることを目的としていました。
日本の学者からの影響
一部の研究者は、顧頡剛の疑古思想が日本の学者、特に白鳥庫吉の影響を受けていると指摘しています。しかし、顧頡剛自身はこの影響を認めることに消極的でした。
「古史弁自序」の意義と批判
歴史研究への貢献
顧頡剛の古史学は、単に疑古や辨偽にとどまらず、考信(信頼できる史料の考証)にも重点を置いていました。彼は「破壊と建設は一つの事の両面であり、根本的に異なるものではない」と強調しています。
批判と反論
顧頡剛の層累説は、発表直後から批判を受けました。例えば、張蔭麟は『学衡』誌上で、顧頡剛が過度に默証(間接的証拠)に依存していると指摘しました。また、史籍が著された時代を史事が発生した時代と同一視する傾向があるという批判もありました。
結論
「古史弁自序」は、中国古代史研究に大きな影響を与えた重要な文献です。顧頡剛の疑古思想は、伝統的な歴史観に挑戦し、より科学的で批判的な歴史研究の方法を提唱しました。しかし、その手法や結論には批判も多く、現代の歴史学では、疑古と信古のバランスを取りながら、より多角的な視点から古代史を研究する傾向があります。
「古史弁自序」は、中国歴史学の近代化過程において重要な一歩を記した文献として、今日でも高く評価されています。


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