林 子平『海国兵談』について

林 子平『海国兵談』 社会科学
林 子平『海国兵談』

林 子平(はやし しへい、1738年 – 1793年)の『海国兵談』は、江戸時代後期に著された重要な兵書・国防書です。全16巻からなるこの著作は、1777年に起稿され、1786年に脱稿、1788年から1791年にかけて自費出版されました[1][3]。

『海国兵談』の主な内容と特徴は以下の通りです:

  1. 海国としての日本の認識:
    林子平は「江戸の日本橋より唐・阿蘭陀迄(オランダまで)、境なしの水路なり」と説き、日本が四方を海に囲まれた「海国」であることを強調しました[1][2]。
  2. 海防の重要性:
    ロシアの南下政策に危機感を抱いた林子平は、外国勢力を撃退するには近代的な火力を備えた海軍の充実化と全国的な沿岸砲台の建設が不可欠であると説きました[3]。
  3. 水戦の重視:
    日本が海国であるため、水戦を重視すべきであると主張し、大船の建造と大砲の装備の必要性を説きました[1]。
  4. 江戸湾防衛の提案:
    政治の中枢である江戸が海上攻撃を受ける可能性を指摘し、江戸湾の入口に信頼できる有力諸侯を配置すべきだと提案しました[2][3]。
  5. 富国策:
    強力な海軍を維持するためには、幕府の権力と経済力の強化が必要であると説きました[3]。
  6. 対外戦への備え:
    国内戦の勝利よりも、対外戦への備えを重視しました[1]。

『海国兵談』の影響と評価:

  1. 幕府の弾圧:
    幕府の軍事体制の不備を批判する内容であったため、1791年末に林子平は幕府に召喚され、翌年5月に蟄居処分となり、板木は没収されました[1][3]。
  2. 広範な影響:
    1792年のロシア使節の根室来航を機に、本書は広く伝写され、海防論議が高まるにつれて尊皇攘夷の志士たちを刺激しました[1]。
  3. 幕末海防論への影響:
    19世紀に入ると、実際に江戸湾の海防強化政策が幕府によって採用されるなど、幕末海防論の起点となりました[3]。
  4. 近代日本への影響:
    近代日本の富国強兵論に影響を及ぼし、後の日本海軍の戦略家である佐藤鉄太郎の軍事思想にも影響を与えました[3]。
  5. 再評価:
    林子平の死後、天保12年(1841年)に罪が許され、嘉永4年(1851年)に『精校海国兵談』として再刊されました[2]。

『海国兵談』は、その先見性と包括的な国防論により、江戸時代後期から明治期にかけての日本の軍事・外交政策に大きな影響を与えた重要な著作として評価されています。

Citations:
[1] https://japanknowledge.com/contents/nipponica/sample_koumoku.html?entryid=297
[2] https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/collection/features/digital_showcase/040/01/index.html
[3] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%9B%BD%E5%85%B5%E8%AB%87
[4] https://rekijin.net/hayashi_shihei/
[5] https://www.iwanami.co.jp/book/b246306.html

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