「方法論争」(Methodenstreit)は、1880年代から1890年代にかけて、カール・メンガーを中心とするオーストリア学派とグスタフ・フォン・シュモラーを中心とするドイツ歴史学派の間で繰り広げられた経済学における方法論をめぐる論争です[1]。この論争の主な内容と経緯は以下の通りです:
論争の発端
1883年、メンガーが『社会科学、特に経済学の方法に関する研究』を出版し、その中でドイツ歴史学派の方法を批判しました[2]。これに対し、シュモラーが反論の書評を発表したことで論争が始まりました[1]。
双方の主張
ドイツ歴史学派の立場
- 経済学は統計的・歴史的な資料の集積と研究から発展すべきだと主張
- 歴史的経験から帰納されていない理論に不信感を示す
- 経済現象を歴史的・社会的文脈で理解することを重視
オーストリア学派(メンガー)の立場
- 経済学は演繹法に基づく学問であるべきだと主張
- 人間行動に関して普遍的に価値を持つ理論を追求
- 複雑な人間の動機と社会的相互作用を観察し、そこから法則を発展させるべきだと考える
論争の展開
- メンガーの著作に対し、シュモラーが反論の書評を発表
- 1884年、メンガーが『ドイツ国民経済学における歴史主義の誤り』というパンフレットで再反論[3]
- シュモラーが論争の一方的な打ち切りを通告
- その後、両陣営の他の学者たちを巻き込んで論争が拡大
論争の意義
- 思想史上の意義:人間行動のダイナミズムを歴史から離れて説明できるかという問題提起
- 政策上の意義:オーストリア学派の古典的自由主義と、歴史学派の福祉国家論との対立を含む
この方法論争は、経済学の方法論や認識論的特質に関する重要な議論を引き起こし、その後の経済学の発展に大きな影響を与えました。
Citations:
[1] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%B3%95%E8%AB%96%E4%BA%89_(%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6)
[2] https://www.msz.co.jp/book/author/ma/13948/
[3] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC


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